「私」の輪郭が固まる時がある。

 

それは人や社会、意味内容で記号化された物や情報、それらの只中に於いて流されると、

 

自覚の有無に関わらず、擬態としての「私」を捏造し固定する。

 

 

 

制作は「私」からの解放を促す回路として、

 

固定した自我を解体し「私」の輪郭を解していく。

 

 

 

「私」という内側をはみ出し、外へと向かう回路としての制作、

 

その過程において私は内と外を繋ぐ空の器として機能する。

 

 

 

この一つの回路を媒介として、

 

自我と自己、此岸と彼岸、聖と俗、意識と無意識、有限と無限、

 

この二重世界の内と外の往還を私は試みる。

 

 

 

内と外の往還、その動きの只中にある境界へ身を委ねることで

 

見えざるを見、感じざるを感じ、

 

五感や意識、個人の有限性を超えていけるのではないかと直感する。

 

 

 

この動機において私は見えない世界を絵画として翻訳し、もう一つの世界を可視化する。

 

 

 

 

 

 

制作という回路について

 

 

制作は頭の中のイメージを出力する所から出発します。

 

最初はイメージを元に描き始めていきますが、

 

描いていくにつれ次第にイメージと画面の間にズレが生じます。

 

それは頭の中のイメージよりも、

 

画面上で起こっている出来事に従って描いていくからですが、

 

このズレが大きいほど自分でも驚くものが出来たり、

 

どう描いたか覚えていないものが出来上がります。

 

 

 

もし途中、最初に浮かんだイメージ通りに強引に進めようとした結果、

 

見えた部分を無視してしまうと

 

それは「自分はこうしたい」という「我」を絵に押し付ける事にもなり兼ねず、

 

予想の範疇に収まったものになるでしょう。

 

 

 

「こうしたら、こうなる」という予想の枠からはみ出し、

 

「どうなるか分からない」と彷徨うほどに、絵は予想の外へ連れ出してくれます。

 

描き進める過程で見えては消え、を繰り返すうちに、そうしたものが出来上がります。

 

 

 

自分の「我」というものをどれだけ空にして向き合えるか、

 

自我の内側から外へはみ出すには、

 

そうした「我を立てない」ことが大切だと感じます。

 

 

 

また、頭の中のイメージがスムーズに出力され出来上がる作品もありますが、

 

それらが何処から湧いて来たものか、具体的に言語化することは難しいです。

 

言葉や思考、意識が先にあるのではなく、

 

直感や身体、無意識が先にあるという制作態度に於いて、

 

それらの出所を把握する事は難しいですが、

 

私というフィルターを通して濾過されたそれらは、

 

此処ではない何処か、向こう側から来たものであるようにも感じます。

 

 

 

2022.9.13

 

 

 

 

2023.4.26  
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2022.8.13  
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